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中野マサハル
JAZZボーカルの貴公子として、ここ2,3年その力強い歌唱とルックスの甘さで広く注目を集めている。まもなくメジャーデビューの予定。
1970年東京生まれ。
15歳のときに沢田靖司ジャズボーカルスクールに入門。後に笈田敏夫に師事。
19歳でジミー原田クァルテットでライブデビュー。
以降東京近郊のライブハウスで活動の後、読売新聞社主催の浅草ジャズコンペティションのボーカル部門でグランプリを受賞し、オーストラリアで催されたマンリージャズフェスティバルに出演、以降数々のステージイベントを行なう。
市川秀男、今田勝、福田重男、鈴木和郎等、一流ピアニストとのジョイントを重ね、ライブハウスではリアルなジャズを、コンサートでは女性向きの甘いスタンダードとを歌い人気を集めている。
2001年池袋にオープンした本格的なライブレストラン「OpusOne」をホームグラウンドホストとして3年間、水橋孝、岡野等、中村誠一等のトップミュージシャンとのセッションを行う。
2003年キングレコード関口台スタジオで水橋孝(B)、中村誠一(Sax)、岡野等(Tp)、福田重男(P)、関根英雄(Dr)のメンバーで、1stアルバムを制作、メジャーレコード会社から注目される。

なお、祖父・中野忠晴は、戦前コロムビアレコードで、日本のジャズ・ポピュラー歌手の草分けとして、多くのヒット曲を歌う。「小さな喫茶店」「山の人気者」「ダイナ」また日本で最初のジャズコーラスグループ「中野忠晴とコロムビアリズムボーイズ」を作り、「山寺の和尚さん」「タイガーラグ」等、当時としては新しい画期的な作品を世に出しヒットさせた。
戦後は作曲家として「喫茶店の片隅で」「おーい中村君」「赤い夕陽の故郷」「達者でナ」などを作曲、ヒットさせ、戦前・戦後を通じて日本の音楽界に多大な貢献をした人物であり、父・忠彦も武蔵野音楽大学 作曲科に学び、一時キングレコードで作曲活動を行なう。「歌手」中野マサハルを育て、現在音楽プロデューサーとして活躍し、三代続けて音楽の道に精進している。



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